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福岡地方裁判所 昭和50年(タ)13号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 山本治雄

同 高山征治郎

同 坂本佑介

同 井上庸夫

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 江崎晴

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原告と被告間の長男一郎(昭和三七年三月二九日生)、次男二郎(昭和三九年三月二四日生)の親権者を被告と定める。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告とを離婚する。

2  原、被告間の長男一郎(昭和三七年三月二九日生)、次男二郎(昭和三九年三月二四日生)の親権者を原告と定める。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告は、昭和三六年一月、見合し、同年三月二〇日、挙式(仲人、乙山三郎)し、同年六月一二日婚姻の届出をした。

2  原告は、昭和三三年四月早稲田大学理工学部大学院を卒業後、株式会社○○組に入社、同三四年名古屋支店、同四二年末福岡支店、同四四年暮福岡支店設備課長、同五〇年九月東京本社設計課長として勤務し現在に至っている。

被告は青山学院短期大学英文科を卒業し、結婚まで○○時計店に勤務していた。双方初婚である。

3  原告・被告間には、昭和三七年三月二九日に、長男一郎が、同三九年三月二四日に次男二郎が、それぞれ出生し、右両名共現在被告と同居している。

4  左記のような事実があり、婚姻を継続しがたい事由に該当するので離婚を求める。

(一) 新婚旅行先の旅館で原告が女中さんにチップをやったら、被告は非常に立腹した。

(二) 原告が、朝出勤時、被告が「何時に帰るか」と尋ねるので「わからない。」と答えると、「わからないとは何事だ。」と怒鳴りながら、素足のまま車を追いかけてくることがあり、また、爪で、原告の顔にひっかき傷を作ったり、子供の面前で立ち廻りを演じることがある。更に、原告の帰宅が遅いことに立腹すると、包丁を振りかざすことさえ有り、また、原告が酒を飲んで遅く帰った時には、被告は「他人とのつきあいで酒が飲めるなら、自分ともつき合え。」と言って原告に酒を無理強いすることもあるなど、いわゆるヒステリー的である。

(三) 原告会社の同僚が家に来た時、全く笑顔をみせず、御客を接待するという様子がないばかりか、同僚の一人で美男子の人に対してだけ酒をついでやったりしていた(特別な関係があると主張する訳では全くない。同僚の一人に対しては冷く接し、一方ではそうでないといった態度は問題であると原告は考えている。)。また同僚が家にきた時、原告が「お前お茶を。」と言ったら、被告は「お前とは何だ、お茶ぐらい、お前が入れろ。」と同僚の面前で原告を罵倒した。こんな状態なので、同僚はびっくりして原告宅には来なくなるし、原告としても同僚を家に呼ぶ訳にはいかない状態であった。

(四) 被告が顔を知っている会社の運転手が原告のゴルフ用具をとりに行ったところ、被告は「主人から連絡を受けてないので渡せない。」と言い、道具を渡さず、また、被告が会社に電話して原告の行き先が不明だと交換手に対し「主人の行き先ぐらい、ちゃあんと知っておけ」とどなり、更には、原告の悪口を原告の上司や同僚に言いふらしていた。

(五) 原告は、名古屋勤務時代及び福岡勤務時代にそれぞれの勤務地に一戸建の家を建てたが、これは原告が裕福だった訳では決してない。被告が社宅住いを極度に嫌うし、且つ、原告としても隣近所の社宅の人に被告の非常識さをこれ以上見られたくないとの理由から、原告の親達の援助で無理をして建てたのである。

(六) 被告は、長男出生後、家出をして実家に帰ったことが有り、この時は一応被告が謝罪してきたため、同居をした。また昭和四四年一〇月、二児を残し突然、被告は米国旅行に出かけ、五〇日間滞米して何くわぬ顔で帰ってきた。そして現在被告は自宅の初級の英語塾と、他人を教師として雇いエレクトーン教室を開いている。反面、被告は朝起きを嫌がり、子供に「自分で食べて行け。」と寝床から言うなど、自分の子供の教育も充分出来ない。家庭内に関心を持つより家庭外のことに関心があり、派手好きな性格から以上のような行動に出ているものである。

(七) 一方、原告は結婚後一〇年以上は給料は封を切らずに被告に渡し、また日曜日は家庭サービスに専心していた。しかし一家でドライブに行っても、被告は突如として気分が変わり冷い態度になり、折角のリクレェーションも被告のために全く気重なものになってしまう。

(八) 被告のヒステリックな態度は徐々に昂じてきており、改善に期待がもてない。

5  以上のように常識はずれの行為が被告には認められる。被告の自己中心的で、自分の感情の抑制がきかない性格は婚姻生活の維持を不能ならしめている。

原告は職種柄、夕方からの付き合いが多く、どうしても帰宅の時間が不規則である。しかし、原告と同じような立場の人はおおむね同じような生活状態である。

原告としては、これ以上同居していては、原告の社会生活さえ不能になるので、昭和四九年二月より別居して仕事に専念している。なお、別居した方が子供達に対する悪影響が少ないと考え、一応原・被告で合意したものである。

原告は、現在、東京都○○区にある原告の両親宅に居住し、株式会社○○組に通勤しているが、別居後現在に至るまで福岡に在住する被告と子供のために毎月一〇万円以上送金している。

6(一)  昭和四八年一〇月原告は、福岡家庭裁判所に離婚調停をなしたが、被告が反省するというので取下げた。

(二) 同五〇年一月、さらに同裁判所に離婚調停の申立をなしたが、二月五日不成立に終った。

(三) 別居後も被告は、離婚したくない旨主張しながら、正常な関係を復活さすべき努力を一切しないばかりか反抗的態度で終始している。

すなわち、昭和四九年七月頃、原告の上司に対し「原告には女がいて子供もいる」などとつげ口したり、被告宅へ原告あての結婚招待状等重要な手紙が来ていても知らせず、また原告が子供と会うのを妨害し、子供の教育問題について話し合いを二度にわたり申し入れているのに応じようとしなかった。

7  以上、原告・被告間の婚姻生活は完全に破綻しており、夫婦の実態は何もない。原告は現在やむをえず、長男一郎、次男二郎の養育を被告にゆだねているものの、被告の性格からすれば、養育を被告にまかせることは子供の健全な成長にとって不適切である。

よって、原告は、原告・被告を離婚し、長男一郎、次男二郎の親権者を原告と定めるとの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2、3の事実は認める。

2  請求原因4の事実について

(一) 否認する。

(二) 日時の特定がないので答弁に苦しむが、出張旅行、無断外泊が多い原告に対し、帰宅の日時を確かめるのは当然である。その余の事実は否認する。被告が包丁を振りかざしたり、原告の顔にひっかき傷を作ったりしたとの原告主張については、真相は全く逆で、原告は一寸した不気嫌から被告に対し殴る蹴るの暴力を振い、或ときはそのため眼球出血し、医師の治療を受けたほどである。また、被告が原告に対し共に飲酒することを強要するとの原告主張については、体質的に酒の飲めない被告がそのようなことをいうことはない。原告のたび重なる深酒はその健康を損ねるのではないかと案じてそれとなく注意したことがあるのみである。

(三) 否認する。

(四) 否認する。

原告から何らの連絡もなく、突然未知の人から原告の依頼でゴルフ道具を預ってゆくといわれて躊躇し、「原告から何の連絡も受けていません。」といったことはあるが、ゴルフ道具はその都度渡している。また、原告の無断外泊や出張予定日数を過ぎても帰宅しない場合に、原告に急に連絡すべき用件が生じて被告が原告の勤め先に連絡してその行先を尋ねたことはあるが、交換手に対し原告主張の如き不躾な言辞を弄したことはないし、原告の悪口を原告の上司や同僚に言いふらしたこともない。

(五) 名古屋と福岡に一戸建の家を新築したことは認める。但し、名古屋の土地建物は既に売却ずみ。その余の事実は否認する。

福岡の被告現住所に土地を求め新築したのは、一戸建の家屋に居住する快適さを求めて、原・被告話合の上でしたことである。

(六) 長男出生後の昭和三八年初め頃、原告の理不尽な行為に思い悩んだ被告は両親に相談すべく長男を連れ実家に行ったことはあるが、家出したのではない。被告は一両日中に帰宅の予定であったが、突然原告の両親より帰宅を差止められ、直ちに帰宅し得ない状態におかれたものである。

昭和四四年七月一四日から同年八月二五日までアメリカへ研修旅行をしたが、これは原告が同意賛成してのうえである。右に反する原告の主張は否認する。

また、被告が自宅で英語塾等を開設したのは、結婚以来原告の異常に遅い帰宅時間と、月のうち半数以上は出張により不在であること、二児の養育にも手がはぶけるようになったことから、その余暇を有意義に過そうと、近隣の子供に英語を教えることを思いたち原告の了解を得て自宅で英語塾を開設し、併せてエレクトーン・ピアノ教室として音楽教室に場所提供をしているものであって、右英語塾には長男も喜んでこれに参加している。被告が派手好みの性格からこのようなことをしている旨の原告主張は当らない。

被告が朝起きを嫌がるとの原告主張も否認する。朝起きを嫌がるのはむしろ原告であり、原告は深酒のため午前中起きれず、午后から出社することもあった。

(七) 原告が結婚後一〇年位封を切らずに給料を渡していたこと。ゴルフに出かけない日曜日家庭にいたこと、毎年二回位二、三泊の予定でドライブ旅行をしていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(八) 否認する。

3  請求原因5の事実について

昭和四九年三月原告が帰宅しないようになったことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告には原告が主張するように婚姻生活の維持を不能ならしめている事実はなく、かえって原告は、昭和四六年ラボ教育センター(言語教育センター)の仕事で三月ほど上京した際被告の留守を幸いバーのホステスを家に連れ込み宿泊させ、また或る時は午前二時頃ホステスを伴って帰宅し自宅で酒をくみ交わしどうしても泊らせると強情を張ったことがある。その後も、原告の異性関係の噂さは流れていたが、被告は原告を愛し二児のためにもこれに耐えて来た。そして、未だ未成年者である二児にとって父親たる原告の存在は是非共必要であり別居は困るといいつづけて来たのであるが、別居を強制されるに至った。

なお、被告は、昭和四九年六月から月六万円の送金を受けて来たが、一〇月からは五万円となり次第に減額されるので、昭和四九年一一月被告は福岡家庭裁判所に「婚姻費用の分担」を請求した。

右事件は昭和五〇年二月五日調停成立となり、毎月一〇万円を送金してもらうこととなったものである。

4  請求原因6の事実について

原告が調停申立をし、その後取下げたこと、昭和五〇年一月再度の調停申立をし、不成立に終ったことは認めるがその余の事実は否認する。

5  請求原因7の事実について

争う。

被告は現在も原告を愛し、子供達のためにも父親は是非必要であるから、原告が以前の気持に帰り、被告ら妻子と同居するようになるのを待ち続ける気持は今以っていささかの変りもない。

三  請求原因に対する認否3記載の被告主張事実に対する原告の主張

被告の上京中にバーの女性を宿泊させたこと、バーの女性を泊まらせるといいつづけたことは否認する。もっとも原告がバーの女性に「家にあがっていけ。」といったのは事実であり、外形上は非難に価する行動ではあるが、自宅まで送ってくれた女性に対し、家でお茶を飲んでいってくれという気持からそのようにいったもので、被告を侮辱するような気持でとった行動ではない。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、原告と被告は、昭和三六年三月二〇日乙山三郎の媒酌で結婚式を挙げ、同年六月一二日婚姻の届出をなしたこと、原告と被告との間には昭和三七年三月二九日長男一郎が、昭和三九年三月二四日に二男二郎がそれぞれ出生したこと、原告は昭和三三年に早稲田大学大学院(建築工学)を卒業して株式会社○○組に就職し、昭和三四年四月まで本店(大阪)に、同年五月から昭和四二年末まで名古屋支店にそれぞれ勤務した後、同年末に福岡支店に転勤し、昭和四四年八月に同支店設備課長となり、さらに昭和五〇年九月に東京本社設備設計課長となり現在に至っていること、被告は昭和三二年に青山短大(英文科)を卒業して○○時計店に二年間勤務した後原告と結婚したものであること、原告は福岡在住中である昭和四九年二月末頃単身家(被告現住地)を出たこと、さらに昭和五〇年九月の東京転勤に伴い、原告は同人の実家(原告現住地)に立帰り、そのまま被告や子供達の許に戻らないで別居生活を継続していることを認めることが出来る。

二  次に、《証拠省略》を総合すると、左記事実が認められる。

1  原告は昭和三三年株式会社○○組に入社して以来、その仕事の関係で得意先や下請業者と飲酒して深夜帰宅することが多く、このようなことは被告と結婚し、原告の会社における地位が上がるにつれてますます頻繁になり、福岡在任当時中は、月のうち二、三日は午前一二時を過ぎての帰宅で、素面の時は月に三日ぐらいしかないという状態であったこと。なお、原告は生来酒好きであること。

2  被告は、前記1記載の如く原告の深夜の帰宅が続くなど、原告との結婚生活が自分の描いていた結婚像と甚だしく相違していることから、昭和三八年初頃、出生後間もない長男一郎を連れて、原告に無断で実家(東京都○区○○○)に帰り、一ヶ月ほど原告の許へ帰らなかったことがあり、その後においても、家庭内のことを原告とゆっくり話し合う機会や原告が子供達と一緒に過ごす時間が少い毎日に不満をつのらせ、さらに昭和四六年秋頃の深夜被告の留守中に原告がバーのホステスに送られて帰宅したことが二回位あったことから原告が不貞な行為をしているのではないかとの疑いを抱くようになったこと。

3  他方原告としても、原告が仕事の関係上夜帰りが遅くなると、被告が「なぜ帰りが遅いのか。女でもいるのではないか。」などと怒って詰問し、原告が寝ようとすれば、引き起こしたり、「私と一緒に飲みなさい。」と飲めもしない酒を飲んで騒いだりして、午前三時、四時まで原告を眠らせないことも時々あったこと、出勤時被告が「今日は帰りが早いか。」と聞いた時、原告が「判らない。」と答えると、被告はあくまでもはっきりとした答えを要求して原告の上着やシャツを引っ張ったり、原告の手や顔に引っかき傷をつけたり、一度は素足で車を追って来たこともあったこと、また被告が会社に電話をかけてくることがしばしば有り、その際交換手が原告不在で行く先が判らない旨答えると、行く先も分らないのかとやかましく言い、そのため原告は交換手達から「課長の奥さんはえらいんですね。社長の奥さんでもああいう口の利き方はしない。」と皮肉を言われたことがあること、昭和四三年頃、給料日に原告が出張していた時、被告は、原告に無断で会社に給料を受けとりに行き、会計が印鑑がないからと断ると「妻でも渡せないのか。」等々やかましく言い、そのことが会計で噂になっていたこと、原告は会社の同僚や部下を自宅に連れて来ることが時々あったが、そのような場合被告は、原告が「お茶を入れてくれ。」等というのを素直にきかないことがあり、また、来客すべてを同列に暖く歓迎するという態度に欠けるところがあるため、同僚等の評判は余り良くなかったことなどから、被告の原告の仕事に対する無理解さや、そこから生ずる態度について、原告も次第に不満を嵩じさせていたこと。

4  原告は、会社の休日には、ゴルフをする外、家族全員でドライブをしたり、庭の草取りや子供達と野球をしたりして過ごしていたこと。

5  昭和四四年七月から一ヶ月ほど被告は幼児の英語教育についての研修旅行でアメリカへ出向いたこと。原告は当初、まだ小学校二年生と幼稚園児にすぎない子供達を置いて被告が右旅行に行くことに反対したが被告の旅行をする決心が固いので、やむをえず了承したこと。そして、被告が右旅行に出かけている期間中も、原告は出張が続き、また設備課長に昇進するということもあって極めて多忙であり、子供達の世話までは到底手が廻りかねる状態であったが、被告が右旅行によって視野を広め、それまでより原告に理解ある態度を示してくれるようになることを期待し、知人に子供達の世話を依頼する等して不自由を忍びながら被告の帰国を待ったこと。

6  被告は、結婚後も英語を勉強したいという気持を持っていたが、原告が在宅する時間が少いことによる淋しさや手持無沙汰な感じを紛らせるため、前記アメリカ旅行の直前頃から、自宅内にプレハブの建物を建築して園児から中学生までを対象とする英語塾を開設し、自ら教授をすると共に、右教室をヤマハ楽器のエレクトーン教室に貸すことを始めたこと(自分の子供達も英語塾に参加させた。)。なお、右英語塾を始めるに当たって、原告は被告に「よその子の面倒は見ないでも、うちの子の面倒は見てくれ。」と反対の意思を表明したが、被告が、「教育のことは私に任せておいて下さい。」と言って自分の計画を変えようとしなかったため、原告も最後までは反対せず、約一六万円の教室建築費を支出したこと。

7  前記アメリカ旅行の後も、原告の期待に反して、被告の前記3記載のような態度は少しも改まらず、かえって、原告が夜遅く帰宅した時すぐに眠らせないとか原告の行動に疑念を抱き詰問する等の行動は烈しさを増す一方であったこと。

8  昭和四八年一〇月原告は、福岡家庭裁判所に離婚調停を申立てたが取下げたこと。昭和五〇年一月、再度同裁判所に夫婦関係調整の申立をなしたが、同年二月五日不成立に終ったこと。その時から現在まで途中若干の遅滞はあったものの、原告から被告へ毎月一〇万円が生活費として送金されていること。

9  原告は、別居後、東京の方が福岡より良い大学が多く有り、就職もしやすいことから子供の教育のためには東京がよく、知人親戚も東京に住んでいるため、子供を東京に引きとりたいと思っており、被告と子供の教育問題について話し合いたいと申入れたが、被告は、夫婦の別居継続を前提とした子供達の東京への転居には反対であるとして、右申入れを拒絶したこと。

10  被告は、原告転勤の際一旦は上京する気になったが、長男一郎の高校進学問題で、子供達と相談した結果、福岡に留まることになり、長男一郎、次男二郎は福岡にある学校に通学していること。

11  原告としては、別居開始当時はともかく現在においては、子供達の親権者になることに固執してはいないが、将来共に子供達に対する精神的、経済的援助を惜しまない気持であること。

《証拠判断省略》

三  前記二において認定の各事実によれば、原告は大手建設会社の幹部職員として、会社の上司、同僚、部下と絶えず接触して円滑な人間関係を維持して行かねばならず、また、出張、得意先との交際などのため家庭生活を相当犠牲にしなければならない立場にあり、連日深夜に帰宅するような生活を送っていたものと認めらる。そのような生活状態が全く正常といえるかどうかはともかく、現実の問題として、特に建設会社などでは原告と同じような生活を送る人が他にもかなり多く存在するであろう。そして、原告はそのような生活に生き甲斐を感じ、配偶者に対しても、自己への協力を強く求める、仕事本位の人であり、そのような生き方を変える気は毛頭ないものと思われる。原告が生来酒好きであるため飲酒の度合が多少多くなることはあったかもしれないが、原告が自己の嗜好を主としてそのような生活を送っていたとは認められない。また、被告が疑っているように、原告が不貞行為をしていた事実を認めるに足りる証拠はない。

他方、右のような仕事本位の原告を夫に持った被告が結婚以来相当の苦労をしたであろうことは推察するに難くない。しかしながら、そのような事情を考慮したとしても、前記認定事実によれば、被告はそのような原告の立場を十分に理解し、原告が不在勝であることによって生ずるもろもろの不都合や淋しさに耐え、原告が会社で十分に力を発揮するよう努力するという態度に欠けるところがあり、また、自己の意思をかなり強引に押し通すところがあるように思われる。

前記二5記載の如く、原告の課長昇進という原告のみならず家族にとって極めて大切な時期に、幼い子供二人を原告に託してかなり強引にアメリカ旅行に出かけたことなどもその一つの証左であると当裁判所は考える(右旅行は、被告にとって、英語教育という自己の生き甲斐にかかわる有意義な旅行であったかもしれないが、真に原告との円満な婚姻関係の継続を願うのであれば、もっと慎重に行動すべきであったのではなかろうか。)。

このような原・被告の性格、態度、考え方の食違いから、前記認定の如き幾多の軋轢が発生、継続し、その結果、原・被告が別居し始めてから既に四年以上経過している。

原告は今や全く被告に対する愛情を失ない被告との婚姻生活を持続する意思はなく、他方被告は原告との婚姻生活の持続を望んでいるが、前記認定事実によれば、被告自身婚姻継続につきさしたる努力をしてきたものとも認められない。

そして、原告と被告は自己の正当性を主張して譲らず、子供達の教育問題についても、容易に意見の一致を見ない状況である。

このような本件に現われた一切の事情を総合勘案するならば、原告と被告の婚姻生活はもはや回復し難いまでに破綻しているものというべきである。

なお、右認定事実によれば、右破綻の原因が主として原告の責に帰すべき事由に由来するものとは到底解されない。

したがって、原告と被告とのかかる状態は民法七七〇条一項五号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものと解すべきであり、原告の離婚の請求は理由があるというべきである。

四  次に長男一郎、次男二郎に対する親権者指定の点であるが、右認定事実からすれば、原・被告のいずれを親権者とすべきかの決定的要因となるほどの差異は認められない。

ところで、子の親権者の指定にあたっては子の福祉を中心に考察すべきところ、右記証拠によれば、両名は昭和四二年末から福岡に在住、昭和四九年二月以降は原告と別れて、被告と生活していること、現在福岡市にある高校および中学にそれぞれ通学していることが認められ、長男一郎が年令一六才、次男二郎が一四才といずれも人格形成には、重要な時期になる年令であり、その人的及び物的環境の変化は好ましくないこと、さらには、原告自身強く親権者になることを望んでいる訳ではないことから、右一郎、二郎の幸福のためには、被告を親権者と指定するのが、相当であると判断する。

五  よって、原告の被告に対する離婚の請求は理由があるからこれを認容し、未成年の子、甲野一郎、同二郎の親権者を被告と定めることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川井重男)

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